私は20才の時,珈琲豆の焙煎に出会いました。
毎日小さな手網を小さなガスコンロの上で,距離を調節し回しながら焙煎し, その翌日,味わうということを数年間やっていました。 もちろん温度計や湿度計もありませんでしたので,
毎回,ガスコンロの上に手を当てて,その熱さの感覚で,距離を調整していました。
向き合う豆1粒1粒に顔が見えてきて,焙煎は豆と対話する時間でした。 今思えば自分自身の内面と向き合っていたとも感じられます。
たまに珈琲が本当に美味しくできたと感じられる時があり,まさにトリップするような幸せを実感しました。
そしてこの味を一人で味わうのはもったいないと思ったものです(再び同じ味を出すことはできないのですが)。 ある意味,とても贅沢な時間でした。
今は,焙煎は直火式の小型の焙煎器を自分なりにアレンジ使用し,ある意味,楽をしておりますが,
生豆の選定,ピックアップ(選別)については,妥協することなく,一貫して「迷ったら捨てる」ということで やっているつもりです。
よく人からその捨てる豆で珈琲を入れても美味しいのではないか,と言われるのですが, 「一杯の珈琲の味は,1つ1つの豆の味の総和」と考え, 「捨てる豆もあるからこそ,残る豆もある」と自分に言い聞かせて, 捨てる豆に感謝しながら,焼く前と焼いた後に選別しています。
焼く豆は最近自分の目で選んで購入した豆が中心ですが,
長年大切に保管してきた90年代前半の生豆も時々焼いて,飲んで頂いております。
1粒の豆が手元に来るまでの大自然,大地,太陽の恵み,栽培される方,流通で関われる方々に思いをはせると心から有り難さを感じ,焙煎できる喜びを実感しております。
実際に飲んで頂く方が,どのように感じられるかはわかりませんし, 人それぞれの感性こそ尊重されるべきものと思いますが, 自分で味見した時には,昔毎日焙煎し味見していた時の経験とつながり,
自分なりの位置づけみたいなものを感じております。
ただ一杯の珈琲ですが,そこに至るプロセスを大切にし感謝してお出ししたいと思います。
愛・感謝 AKI |